人が「死ぬ」

不謹慎なのかも知れない。
身内に不幸があった。そして、故に、思うことがあった。

人が死んだ時に「亡くなった」と言う表現をする。
これが動物だと違うのに。
どうして人間だと、この表現になるんだろう?
発端は、そんな気がかりからだった。

個人的な事だと思うのだけど「死んだ」って言葉に重さを感じている。
「亡くなった」って、どうもオブラートに包んであるようで、
実感として、その人が永遠にこの世界からいなくなる、
と言う思いがしない。
それが遺族に対する思いやりから出た言葉なのか、とも感じるけれど。
本当にそうなのかは、わからない。

で、人は必ず一度は死ぬものである。逃れられない。
そのいつか来るの日のために、
どれだけの人が準備しているのか?と思わずにはいられなくなった。
おじさんは最期まで真剣に生きていて、
私から見たら立派な「死に様」だった。
おそらくとっても安らかで、幸せな最期だったと思う。

ライフプラン、ライフデザインの話や、それに類する仕事をしている。
生命保険代理店業務をしている時には、特にそう思うのだが、
果たしてどれだけの人が『自分の死に様』を、考えているのか?

感じないのだ、残念ながら。
どちらかと言うと「死なない」と思ってる人が多いし、
そう思っているのに宝くじのような保険に入っていたりする。
この矛盾って?
要は最期の時をどう迎えようか、
決めていなかったり、思いがないのだ。
今回は、それを痛切に感じた。

「生き様」と同様に「死に様」考えた事ありますか?
おそらくそれはあなたにとっても、家族にとっても大切な事ですよ。
私は今まで以上に「死に様」にこだわって行こうかな、と思う。
再確認した、重たい出来事だった。