制約の中で主張する 

昨日の夕方から書いていた原稿が出来上がって、朝から送った。
ほんの2ページたらずのFPコーナーなのに、
原稿の出来上がりまでに4時間をかけた。
書くだけで。
寝たのは今朝の3時過ぎ。
途中、別の仕事もしてるから、仕方ないけど。
準備段階を含めると、割に合わない仕事なのだろう。
でも何故引き受けるのか?


『修行』
おそらくそうなのだと思う。
記載内容に関しては、指示がある。
テーマは事前に決めていて年間計画を立ててあっても、
発行者側から指示が来るのだ、それも偏った指示で。
なんとか読者との間を埋めたいと思う僕らとの
原稿の内容でのジレンマ。
発行者主体なのはわかるけれど、単語として知っている事を、
それ以上に重要な事があるのに、優先させるのは、
何か間違っているような気がする。
だから、優しく戦ってしまう。


本は読む人がいて、初めて成り立つ。
その認識は、機関誌にはないのだろうか?
ただ出せば良いと、思ってはいないのだろうか?
気にかかる。
僕らとやり取りするのは、デザイン事務所。
それもおかしい話だと気付いている。
デザイナーがわからない事が、読者とイコールではない。
同様にわかる事がイコールでもない。
出版、と言う事であれば「編集者」のような人がいて、
進めて行くんだろうが、わからない人がわからない事を判断する。
おそらく、デザイン事務所も、ある種の被害者。
だから『修行』なのである。
午後、第1回目の修正を送った。
出来上がりまでに、あと何回あるのだろうか?
否、採用はされるのだろうか?
見ている角度、見えているものが違うと、
同じ言葉の意味が全く違うものになる。
出版主体は自分が理解出来なければ、もみ消すのかな?