記憶につながる写真を捨てる

昨日は家に帰ると、相方がベットの中。
姫は習字に行っていて、ボクは祝日の早上がりも、
あまり意味なく、部屋の入る早々、
片付けの続きをし始めました。


はかどらない。
想像していたけど、想像以上だった。
結局、2時過ぎまでかかって、
写真を450枚ぐらい捨てた。


アルバムに整理してないモノを選別。
「してないんだから、捨てられる!」
そう思っていても、見るとねぇ、なかなか出来ない。
頭の中に残すように、3巡して、
ほぼ半分を捨てることに成功した。


今は、デジタルになって、
こういう機会、ってなくなってきたのかな、
なんて途中考えたりもした。


あの頃は、1枚撮るのに気持ちを入れる所があって、
一番良い表情を撮るために、一瞬に息を止めた。
出来上がるまで、どんな風に撮れてるのか
わからなくて、プリントが出来上がる日を
わくわくしながら待った。


今は、とにかく短時間に撮りまくる。
毎数を息する間もないくらい、撮る。
そして、画面で「消去」する。


どっちが良いなんて、一概に言えないけど、
デジタルでない良さ、ってあるなぁ、と
整理しながら、つくづく感じたものだった。
デジタルの方が圧倒的に安価に良い写真を撮ることが出来る。
何も整理することもない。
それは、とても良いこと。
失敗の多い子どもの写真を気兼ねなく、撮ることが出来る。
秘め事だって、誰の目にさらされることなく...


ボクの中にデジタルでは「記録」のイメージ、そんな気がしてる。
アナログは「記憶」なのだ。


撮る時の緊張感なんて、相当のものだし、
今、写真を見ていて、20年も前の写真が、
その時に一気にタイムスリップを起こしてくれる。
何年も見たことない写真1枚で、あの頃のこと、
気持ちまで思い出すことが出来る。


慣れれば、デジタルでも出来るようになるのかな?
画面を見て、そう思える時が来るのかな?


友だちはデジタルカメラで撮った写真をすべてプリントしてる。
そしてアルバムに整理している。
数グラムの1枚の重みが、そこにある気がする。