ラブレターは直筆で

片付けは続きます。
正直、こんな話題ばかりでは、普通はおもしろくない、
自分にとっての本当に記録のようなものです。


昔からとってあった手紙を処分しました。
消印を見れば20年前ぐらいのものも見つかります。
もちろん、捨てづらかった手紙です。


読んでから、処理しようと思いました。
昨日の写真でもそうですが、
手紙って、もっと勢いのあるものなんだなぁ、って
感じました。


最近は何でもかんでもメールだったりして、
その人の持ってる文字の形とか、
行間のとり方だったり、ト書き、イラスト、
そんな落書きの中にある些細な気持ちが、
汲み取ることが困難だなぁ、と、
改めて気づきました。


だから、絵文字が発達、進化したんでしょうが、
やはり手書きに勝るものはないこと
残してあった手紙は、気持ちのこもったものばかりだから、
それが今読み返してもビシビシ伝わって来て、
今、何してるんだろうなぁ?って、
想像してしまいます、懐かしく思ってしまいます。


あんなに情熱的に書いていた彼女が今は、誰かの旦那さん、
あるいは子育てに励んでいるんだなぁ、って思うと、
赤面するような文書も、応援したい気持ちになります。


思った以上にたくさんの人から手紙をもらい、
気持ちを打ち明けられていたんだなぁ、って。
今のボクは、あの時の彼女達が夢見ていた将来の
理想の男性になっているんだろうか?って。


昔を懐古していると、自分には「もっとできる」って
そんな気になって来たりします。
こんなはずではなかったはず、とも。
あの頃の尖っていた時の自分が実は好きだったりします。
相方は「今が良いよ」って言ってはくれますが、
あの頃はもっと野望があったような気がするんです。


年齢とともに、穏やかに優しくなったことは感じますが、
ややもすると危ない感じのエッジの効いた生き方にも、
ボクはやっぱり男気、のようなものを感じており...


今風に、今だからこそ出来るボクの男気は、
どう表現されるのかなぁ?
なんて思うと、毎日をもっと真剣に生きなくちゃ!
そういう意気込みが目覚めてくるのです。


年賀状を相方が昨日から書き始めました。
ボクは、この手紙のような気持ちが伝わるなら、
手書きでもしようかなぁ、って思い始めてます。


いつしか年賀状も宛名も挨拶もプリントアウト、
一言のコメントもないような形式のものになりつつあります。
ボクは出来るだけ、そうならないように気遣ってきたけど、
これも時代なのかもしれません。


人と人の温かさを知る、通わせる、
小学校時代はそんな思いが年賀状にあったんだと
今、学校に上がった姫を見ていて思います。
時間に追われて、どこか逃げ込むように年賀状を
コンピューター任せにしていた自分を、
少し反省して、心をもっーと込めた年賀状、
今年は書かなくてはいけないのかもしれません。


何となく、片付けの中から、来年のテーマが決まりそうです。