試験を受ける目的

旗日です、ボクは名古屋にとあるガイダンスを聞きに。
姫と相方は、午後から合流です。
朝の電車で一緒に名古屋に出て別行動。
ボクは勉強、彼女たちは、遊び、ん〜、勉強かも。


去年、たくさんの試験を受けました。
まさしく、受けた、という表現が正しいのだと思います。
試験勉強は、ほぼしてませんから。
今年は、ここ最近のブログでも書くように、
ボクにとってはスタートの年です。
なので、試験勉強モードにしたくって、
そんな理由で、今日のガイダンスを聞きたくなったのです。


びっくりしました。
30分前に行って、既に47番目。
そしてボクよりも遅い人は、もう、そんなに多くなかった。


これ、気合いみたいなもの感じます。
みんな必死なのかなぁ、って。
ボクは、iPhoneで音楽聞きながら、本読んで(小説です)て、
でもまわりでは、テキスト読んでる人も結構いて、
そうかと思うと、寝てる人もいる。
考え事なのか、腕組んでる人も...


何か、ボクが一番、何もしてないようにさえ感じられて、
これが受験生って、やつなのかなぁ、って思った。
もう大学受験なんて、随分の昔の事だから、
その時の感じを忘れてる、それにボクは、その時も勉強してない。
だから、これが「受験生」なんだぁ、と。


「必死にやらないと、合格はあり得ません」


講師の人は、そういいきりました。
人によって、その必死というのは違うのだとは思います。
ボクにとっての、必死、ってどんな事だろう?


そんな風に考えていたら、ボクは「試験を受ける必要性」に
疑問が生まれてしまったのです。
よくある事、勉強していて、何のためにしてるのか?
そんな事に迷う事はよくある事、それがこの場所で。


でも、個別相談の時間がありました。
正直、救われた、それで。
目的、目標を失うと人はいきなり弱者になりさがります。
そうならなくて済んだ、ボクは単純なので、
個別相談で、自分が試験を受ける本当の意味を見つけたんです。
こういう機会に出かけるのも、気分転換になって、いいなぁ、
そう思って、会場を後にして姫たちのところへ向かいました。