ツイッター初心者、ボクの1週間の反省

突然のお葬式の予定が入り、今日の予定は大幅に変更。
中途半端な出勤は時間の無駄になるから、
家で、やりたい事をすることに。


Twitter に、この1週間のことをまとめた。
始めてちょうど1週間、まとめたくなったのだ。
ボクの個人的な思い、反省。


ツイッター初心者】として、16回、つぶやいた。
ボクの気づいたことを正直に。
ちょうど100人にフォローされた時だった。
で、つぶやき終了後に、90人に減った。


そもそも、1週間で100人のフォロワーが多いのか、
少ないのかもよくはわからないけど、
その内容は、結果的に「リフォローしない」宣言


正直な気持ち、始めたばかりで、心踊った。
で仕事中でも、流れていた。
これ、怖いと思った。
情報がどんどんと入ってくる、
フォローすればするほど、その量は増える。
結果、情報に溺れそうになったのだ。


知らないと、まずいんじゃないか、と。


でも、結局このブログでもなんども書いてるけど、
何でもは知らない、知ってることだけ。
たくさんの情報を知っていたところで、
知ってる情報の使い方を知らなければ、
知ってる意味はない、それも、瞬間で陳腐化していく、
そんな情報をたくさん持っていても仕方ないのだ。


ある意味、ツイッターに決別宣言をボクは出したのだ。
やめる、という結論でなく、
目的を明確にして、使う、という意味を持たそうと。
「ツイ割」のためにフォロワーを増やす必要も、
ローカルに至っては意味がないし、
人数を欲しい情報、必要なもだけにするだけで、
ずいぶんとホーム画面だけで、事足りるようになった。


クライアントソフトも使うけど、
始めてすぐ導入して、かえって、難しく考えるようになった。
だったら、始めた最初は、いきなりいろいろ入れなくても
いいんじゃない、と思ったのだ。


出版されてる本は、ある意味成功者のモノで、
何がなく始めた、無名の人のモノではない。
結果的に、本が出せるようになった、と言うもので、
そうならない人のほうが、圧倒的に多くて、
それでも十分ツイッターは楽しめる、ってこと、
それがやっと自分でわかってきたのだ。


メディアとか周りが、騒いでるから始めたボクには、
刺激が強すぎたんだと思う。
そして、そう思ってる人も多いと思うし、
既に飲み込まれてしまっている人も多いと思う。


だから、Twitter初心者の人の役に立つかもしれない、
と普通人のボクだから思ったことを書いたのだ。
フォローが欲しかった人は、その文章を見て、
フォローを外したんだと思う。


それは、それで自然淘汰だし、構わないことだと思う。
必要のない情報が、その人のところにながれると言うのも、
あまり意味のないことだと思うし。


いつも、質と量の話が、何に対しても出る。
ボクは自分にとって質の高いものにしたかっただけだ。
そして、意外なことに気づいた。
「フォローされている」リストから、
ボクはたびたび、その人の発信を見に行くことが、
実は多かったようだ。
バラバラでタイムラインに流れたきて、見た気になっていても、
実際には1日かじりついてるわけじゃない、
だったら、フォローせずに、まとめて見に行く方が、
わかりやすかったのだ。


それは何を意味しているのか?
フォローしているだけでも、(リフォローがなくても)
良い発信をしてる人は、読んでくれている人がいる、
と言うことがなりたたないか、と言うことだ。


だから、本気で気になる人には、フォローする。
それで大満足なのである。
やっと1週間して「フォロー」の意味がわかった気がした。


ツイッター初心者】CocoroFP をフォローしても構いませんが、
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