「み」を考える

和田裕美さんの成功キーワード作文、
今週から応募の仕方がかわったようです。
今までは皆さん、和田さんのメルマガの最後に
記載されていたのですが、
今週から和田さんのブログ上でコメントのカタチに
なったということで、そこで読むことが出来るようです。


参加者が多くなると、メルマガが必要以上に長くなって、
逆に読みづらくなってしまったり、
そんな弊害もあったのだと思います。


スタッフの方々の苦労も想像出来ますし、
これはこれで正しい判断なのかなぁ、と思ったりしています。


僕はと言えば、ずっとこのブログ上で書いていたわけです。
で、メルマガにはリンクを貼っていただいていた。


まぁ、そうは言っても和田裕美さんが書いてるわけではないので、
クリック数が増える、とか言うモノとは違います。
ある意味、自分にとっては自己満足。
だから「宿題」と読んでいたわけですから、ね。


で、今回から、どうしようかな?と思ったのですが、
今まで通り僕は僕で書いていこうと結論づけました。
それもありかな、と。


和田さんのブログにコピペしてもいいんだろうし。
と、言うことで、長い前置きでしたが、ここから本題。


成功キーワード「み」 ********************


「見守る強さを持つ」


小学2年生の女の子を育てています。
同時に、親として育てられている気がします。
以前、親子は写し鏡であるである、的なことを書きましたが、
その根本が今回のテーマにした「見守る強さ」。


いろんなことを毎日新しい経験として
体験してくる娘に、おそらく「それはね...」と
話してしまえば、多くのことがなんとなく
理解出来るのだと思う。


それは、その時同時に「子供の経験」を奪うことになる。


子供にとって学ぶべきことは、
知識としての理解ではなく、体感出来る経験であることが、
1番大切なことのように感じているのです。


大人のなると多くの失敗を体験することが出来ない。
正しくは「許されない」なんて事が往々にしてあります。
でも、子供時代であれば「子供のしたことなんだから」と、
大人の広い心で受け止めてあげることも出来るわけです。


ここで実は大人は試されている気がするのです。
それを「待つ」事が出来るのか?


自分で進めた方が早かったり、正確だったり、
そんなことはわかっているんだけど、
あえて遅くなり、間違うかもしれない、
そんな選択肢を選ぶ、と言う事、それが出来るのか?


大人は今までの経験から、ある程度の予測が出来ます。
でも子供にはその経験そのものが学びなのですから、
当然、予測が出来ず当たらないこともあるのです。


この話、実は大人でも言える。
初めてを体験する人に、待つことが出来るのか?
で、その人との間の関係が強くなるのかもしれません。
それは信用している、信頼されていると言う関係の元に
あることが前提であるはずだから...


だから「待つ」を覚えることが、人間の成長を
導くことのような気がしてしかたないのです。


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