たなばた飾りを残す簡単な方法

昨日、Twitterのタイムラインを何気に眺めていたら、
モレスキンに七夕飾りを描いた、というツイートを発見。
その写真はかわいらしく...


そうか、そういうのも「あり」なんだな、と思い、
自分も実行してみようと思ったわけで、
そして、もし同時に多くの人が描くことになったなら、
楽しいんだろうなぁ、と想像して、RTしたわけで...。


RT上で「僕も描こうかなぁ」と宣言。
今日、帰宅後に実行に移した。


実は「たなばたモレスキン」は、家族3人で描きたいなぁ、
リツイートした時から思ってました。
七夕が近くなったのに、今年は玄関に七夕飾りがありません。
庭に出れば笹を切ってくることは容易いので、
毎年のようにあったのに、今年は姫から提案がありません。
小学校行事としては影が薄くなってしまったのかなぁ、
なんて寂しく思っていた矢先、
このモレスキンに短冊を書くという方法を発見した時には、
とても楽しそうに、また新鮮に思えたのです。


僕のモレスキンは現在3冊目ですが、
3人で協同してひとつのページを作ったことがないのです。
自分で書くか、子供の作品を貼る、という程度で、
1冊のノートを手渡ししながら回し書きする、
そんな実験もまだ試してなかったので、
姫の宿題が全部終わった時点で、協力を依頼。
内容も聞かずに彼女は快く引き受けてくれました。


そして、イラストは相方に、依頼。
彼女の絵で、いつもと明らかに違うページが出来上がります。
イラストは、家族3人の姿。
それぞれが願い事を書いた短冊つける笹を持っています。


そして、願い事、誓い言、ひとつづつ。


姫は、決まっていることのようにササッと書ききりました。
「パパ、絵も描いていい?」と会話もしながら、
仕上げた短冊には、将来の夢が...。


相方は、少し悩んだあげく、家族の幸せを願いました。
僕は....。


実は1日、悩んでました。
何を書こうかと。どう書こうかと。
震災以降、明らかに僕の中にも何か異変が起こりました。
今までとは違う何かが、大きく影響するようになったのです。


そして、考えて考え倦ねた結果、
僕の短冊には「会いたい人にいつでも会える、
日常をありがたく思える人でありますように!」と綴りました。


何気ない日常が、ものすごく奇跡的に起こっていることなんだと、
意識している自分が今はいるんだなぁ、と改めて認識したのです。
今まで通りの日常を、同じようにおくれない方々が、
まだたくさんいます。
僕は、その方のために何も出来ません。
ただ、早く笑顔を取り戻して、今まで通りの日常が始まって、
普通のことを普通に感じられる日が来ることを祈るのみ、です。


そして自分は、その事実を知って、普通に暮らせることを、
ありがたく思える心を今以上に、育みたいと思うのです。
ありがとうが「そう有ることが難しい」と書くことには、
大きな意味があるのだと、自覚しなくてはいけません。


出来上がった、モレスキンの見開きを見て、
姫が一言いいました「この七夕飾りは捨てられないんだね」と。


今日書いた家族の願い事は、何年経っても、
このページにあって、今日の一日を思い出すことが、
未来にも何度も訪れるのだろうな、と思うと、
ノートに書かれた願い事短冊というのは、
半分実現しているようなものです。


今日は、雨。催涙雨。
でもモレスキンの中では、星空です。
きっと幸せな再会を二人はしていることと思います。