ミクロネシア 

今日はお昼から、9時間、感動の時間。
午前中は10何年ぶりに海水浴を試み、
水の冷たさと、心臓のバクバク音で
5分で引き上げるという急場、持ちました。
ここまで体力が落ちていることを、
穴があったら入りたいほどの勢いで、感じます。
帰国後は「自転車に乗る!」と
これほど感じたことありません。


で、感動はおそらく僕を見ていた人には
伝わっていないのではないでしょうか?
感情が表情に現れにくいのかもしれませんし、
他人と違うところで感動していることも多くあって、
意外と内面のマグマのような感動の仕方なのです。
特に今日の出来事は。


日本人は日本人が思うほど、世界的には対したことないと
僕は私感でずっと思っています。
だから、アジアで中途半端だったり、
東京より上海の方が魅力的に紹介されたり、
製品の説明書に日本語がなかったり。


それは、孤立?


この文化センターはとても楽しく思います。
学生が進めていたり、それが伝わってきたり。
ポリネシアをいう「枠」を大切に思い、
紹介し、助け合い、励ましあい、声掛け合い etc
ツアーのガイドなら本業であれば、
それに徹するのかもしれません。
でも途中で会った友達に、声掛けたり、
調子をうかがったり。
それが、微笑ましいのです。
初々しいというのか、型にはまってなさが、
心地よい緩さでもあるのです。
もちろん、程度問題ですが、彼は心得ていたなぁ。
そう思うのです。


ツアーの楽しさは、ガイドのレベルで変わります。
四角四面では心に伝わってきません。
話してばかりでは、聞く要所がつかめません。
遊んでいては、ムッときます。
そのバランスは、彼でよかったと思います。


 「それぞれの国の人がしてるの?」の質問に、
 「基本的には」でも人手がなければ、
 「手伝いに行きます」って。


これが協調、のでしょうね。
僕らではトンガもサモワもハワイもタヒチ
区別がつかないのです。
そう聞いてから、グッとこの施設が面白く感じました。
完璧というほど作りこまれたサービスもなければ、
こうしてくださいも、あまりない。
それで良いんです。
そんなサービスもあるんです。
サービスをサービスと決めるのは、受け手ですから。



夜、ショーを見ました。
随分と楽しく。学生時代のサークル活動を思い出します。
そのノリなのかは、わかりませんが、
ちょっと楽しくて、手が震えました。